「誠実であるということ」を読み終えて
やっと「誠実であるということ」を読み終えました。
途中で一度、印象に残った文章を書いたのですが、
読み終えていろいろな文章が、手帳に書き留められました。
そのうちの一部が下記になります。
「あなたがそれをとてもよくできるからといって
それをあなたがしなくては ならないとは限らない」
「ああ、もっと恐れなしにいられないものか、手綱を緩めてただ差し出す
もっときれいに、ただ差し出す。ただ捧げる。
そのことだけに歓びを感じられないものだろうか」
「自分の中のやさしいところに眼を向けられたら、まわりの人の同じところを観る目が育つ
自分を見て、このままでいいんだと、その美しさに、存在のピュアな美しさに感謝できれば
それは、そのまま、まわりを受け入れる力になる。世界が輝いて躍動し始めるんだ」
「古い闇に注目すれば、それは、いつまでもそこに在る。
そして、とっくに超えたと思う間違いを、いつの間にかまた犯してしまうだ。
我。我というものを完成させるのは土台無理な話なのだ。
そのかわり、精神の静けさの方にエネルギーを注ぎ、全神経を集中させる自由は、
誰にだって、いつだってある」
「事実によって、何度も引き裂かれて、はじめてできることがある」
自分の心に響くことは、やはり自分のどこかにそれが存在し、求めているからなのでしょうか?
常に、純真でありたいと願いつつ、自分の中に大きな闇をみつけてしまう。
エゴから抜け出せず、しかし、そんな自分を優しく包み込むことこそ、重要なのではないだろうか
そんなことを思わせてくれた一冊でした。
訳者あとがきにこんなことが書かれていました。
『「手軽で簡単、便利で早い、安くておいしい」に惹かれるわたしたちだが
真の充実はどこにあるのか。
ちょっと立ち止まる勇気と、途中で投げ出さない愛をヒューおじさんはみせてくれた』
作者ヒュー・プレイサーさんに感謝です。